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にほんごのはなし④~オノマトペの不思議
主専で書かなきゃならない論文の資料で
オノマトペに関する文献を
ちょこちょこと読んでいるんですけど、
とても興味深い。


オノマトペには前々から興味はあったんです。

だからこそ論文にしようと思ったわけだし。


オノマトペに関してもっとも不思議に思っていたのは
言葉それ自体に意味がないという点。

詳しくは以前書いた記事を参照してもらいたいんですけど、
にほんごのはなし?~擬態オノマトペのはなし
ちょっとかいつまんで話します。


先の、オノマトペは「言葉それ自体に意味がない」という一文。

それは言い換えれば、
オノマトペは〈指し示す意味〉を持たない、ということ。

それなのに、その意味のない音連続から
ぼくらは動きや様子をイメージすることができる。

これはそれぞれの音にそれぞれのイメージがあって
ぼくらはその場面場面にふさわしい音を選んで
オノマトペを作ってるんじゃないかなぁ。


以上がぼくのオノマトペに関する疑問の、大体の主旨です。



本題はここから。




今回文献を読んでいて非常に感銘を受けたのがこれ


オノマトペの基本的な知識
(形態的特徴とかオノマトペの機能・効果など)
を知るために読み始めた本なんですけど、
注目すべき箇所は第5章。

「音と意味の深い関係」。


今まで漠然とぼくが感じていた疑問が
ここでは採り上げられていました。

つまり、

音にはそれぞれ意味があり、
それを利用してオノマトペが作られているのではないか。

そして、

その「音が持つ意味」はどの言語においても普遍なのではないか。



このような
「単語ではなくそれを構成する音そのものが持つ象徴的意味」
を、〈音象徴〉と言うのだそうです。


この〈音象徴〉について、
よく似たオノマトペ「ころっ」「ころり」「ころん」「ころころ」を
比較しながら、少し説明します。


この4つのオノマトペは非常によく似た意味を含んでいます。

が、ぼくらはこの4つを聞いて
微妙なニュアンスの違いを直感的に感じることができる
と思います。

この「微妙なニュアンスの違い」は、
「ころ」という語基以外の要素、
つまり、促音、「り」、撥音、反復によって
もたらされていると考えられます。


まず「ころっ」ですが、
このオノマトペからは比較的小さくて軽いものが一転がりする様子が
イメージされます。

また、その動作は非常に素早く、急に終わっている感じがします。

このことから、促音は
〈スピード感〉〈瞬時性〉〈急な終わり方〉など
を表していると言えます。

ちょっと端折ったので、唐突的な結論になりましたが、
促音の持つそうした象徴的意味は
「ふっ」「さっ」「ぱっ」のような
1モーラ+促音の形態を持つオノマトペが
同様の意味を含んでいることからも
理解できると思います。


「ころり」も小さくて軽いものが転がる様子をイメージしますが、
「ころっ」と比較して「ころり」は
そのスピードがゆっくりであるように感じられます。

つまり、「り」は〈ゆったりとした感じ〉を
象徴的意味として持つわけです。

また同時に、「ころっ」に比べて「ころり」は
やや文語的な響きを持ちます。

り形は促音形より、古めかしく感じられるというのも、
ひとつの特徴と言えるでしょう。


「ころん」のように撥音を持つオノマトペは
〈共鳴〉を表していると考えられます。

「がん」「こん」「きん」などの
鐘や金属を叩いたときの音を表す擬音オノマトペに
撥音が用いられていることから、
そのことが分かると思います。

ただし「ころん」は擬態オノマトペですから
撥音によって喚起される〈共鳴〉は
実際に音が共鳴している様子ではなく、
あくまでイメージだと言えます。
(戸を閉めたときの「ばたん」といった擬音オノマトペも
実際には音が共鳴しているとは考えられにくいが、
それでもあたかも「共鳴」しているようなイメージを受ける)


「ころころ」は今までの3つとは違い、
何か小さな軽いものが連続して転がっている様子が
イメージされます。

したがって、反復形は
〈音や動作の連続・継続・繰り返し〉を
表していることが分かります。



他にも
 ・濁音と清音の違い
 ・母音の違い
 ・語基の反復回数
 ・特殊音素の組み合わせ方(例:「どかーんっ」)
などによって、微妙にニュアンスが変わってきます。


これは何も日本語だけに見られることじゃなくて
他の言語のオノマトペにも似たような〈音象徴〉が見いだされるそうです。



こんな風に
「構成される音によってイメージされる様子が異なる」ということが、
最小対を比較していくことで見えてきます。

ただ、こういうのってどれだけたくさん具体例を挙げて検証してみても、
突き詰めていくと感覚とかイメージの問題だから
どうしても科学的根拠に乏しいんだけど、
なんでかどの言語にも普遍に存在する〈音象徴〉があるように思えて
仕方ないんだよなぁ。。



*参考文献:
田守育啓『オノマトペ 擬音・擬態語をたのしむ』(岩波書店 2002)
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【2006/09/08 16:44 】 | らくがき | コメント(1) | トラックバック(0) |
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コメント

ムズい、けどなんとなくわかるような気がしないでもない。
擬音語は、マンガとかでも言語間の差が少し垣間見れるよね。
これ、結構面白いんじゃないかと踏んでるんだけど、翻訳者のとらえかたが働いちゃってるところが大きいから、あんまりよくないんですかねえ・・・
【2006/09/10 02:39】| URL | びよらぼ #-[ 編集] |
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